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Attention Handoff
注意と認知負荷

注意という希少資源——サイモンからの宿題

· · 4分

この記事の要点

  • ハーバート・サイモンは半世紀前に、情報の過剰が注意の欠乏を生むと指摘していた。
  • 希少なのは情報ではなく、それを受け取る注意の側である。
  • 注意を希少資源として扱うなら、設計の目標は「いかに集めるか」から「いかに守るか」へ移る。

情報が増えれば、判断はよくなる——長らく、私たちはそう信じてきた。だが経済学者で認知科学の先駆者でもあったハーバート・サイモンは、1971年の論文ですでに別のことを述べていた。情報が潤沢になる世界では、情報が消費するものこそが希少になる。それは受け手の注意である、と。半世紀前の宿題が、いまもそのまま残っている。

希少なのは、情報ではなく注意

サイモンの指摘の核心は、視点の転換にある。情報そのものは、もはや希少ではない。いくらでも生産され、複製され、押し寄せてくる。希少なのは、その洪水を受け止め、選り分け、意味を与える注意のほうだ。過剰は情報の側にあり、貧しさは注意の側にある。両者は同じコインの裏表である。

この見方を採れば、多くの場面で見落とされてきた非対称が浮かび上がる。情報を送る側のコストは限りなく下がる一方、それを受け取る側のコストは下がらない。むしろ送られる量が増えるほど、受け手の選別の負担は重くなる。送信は安く、受信は高い。注意の貧困は、この非対称の帰結だ。

容量には、はっきりとした上限がある

注意が希少だという主張は、比喩ではない。認知科学者ジョン・スウェラーの認知負荷理論は、人間の作業記憶が一度に保持できる情報の数に明確な限界があることを前提に組み立てられている。心理学者ダニエル・カーネマンもまた、熟慮を担う「システム2」が同時に一つのことしか深く扱えない、注意の細い管路であることを描いた。容量は有限であり、しかも拡張できない。

だとすれば、押し寄せる情報のすべてに注意を割こうとする戦略は、原理的に破綻している。割けないものを割こうとすれば、一つひとつへの注意は薄まり、どれも十分には処理されない。多くを浅く受け取ることと、少なくを深く受け取ることは、両立しない。

集めることから、守ることへ

サイモンの宿題が私たちに迫るのは、設計目標の転換である。注意が希少資源なら、情報環境の設計が目指すべきは「いかに多くの情報を集め、届けるか」ではなく、「希少な注意をいかに守り、価値のある対象へ振り向けるか」になる。指標は、届けた情報の量ではなく、守られた注意の質に移る。

もっとも、何が守るに値する注意で、何が断ち切ってよい情報なのかは、自明ではない。守るという名目で必要な情報まで遮断すれば、判断はやはり痩せる。希少資源の配分には、つねに選択の責任がついて回る。注意を守るとは、情報を減らすことではなく、有限の注意をどこへ向けるかを意識的に決めることだ。半世紀前にサイモンが残した問いは、いまも私たち自身が引き受けるべき宿題であり続けている。割り込みと深い作業の比較は別稿で扱う。

参考・出典

  1. Herbert A. Simon「Designing Organizations for an Information-Rich World」(Martin Greenberger 編『Computers, Communications, and the Public Interest』所収)Johns Hopkins University Press, 1971年。情報の過剰が注意の欠乏を生むという指摘。
  2. John Sweller「Cognitive Load During Problem Solving」Cognitive Science, 1988年。作業記憶の容量制約について。

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